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<はじめに>
才(サイ)
本編の主人公。イ国王で通称は『武陽王』。
竜王バハムートに乗り6メートルの大槍を操る漆黒の騎士。
タケ
才の飼う黒い飛竜の仔。正体は竜王バハムート。
姜(キョウ)
才の第一婦人。才を温かく見守る心やさしき糟糠の妻。
苑(ソノカ)
才と姜の第二子にしてイ国太子。現在は副都安東を守っている。
才気に輝く溌剌とした貴公子。
(モデル:唯さん)
摩昂(マコウ) 一名をマリリス。
かつてタケに乗っていた紅の女騎士。神話にその名がある。
黒の少女
才にタケと紅玉の槍を手渡し、謎めいた発言をする少女。現在指名手配中。
イの国
才のいる国。
大原(タイゲン)
才がその名を轟かせた戦場の地名。
武陽(ブヨウ)
才が一番最初に領国として封じられた場所。
藤水(トウスイ)
イの都の北を東西に流れる大河。
安東(アントウ)
大陸の東にある大都市。イ国の副都。
現在は苑が太守として守っている。
・・・・んでは本編に
才の治世は3年に満たない。
理由は多く考えられるが、まずは政治のまずさがあげられる。
才は無策に過ぎた。
旧体制の幹部を皆殺しにしたはいいものの、すぐに国政が麻痺し、慌てて旧王の人材を呼び集める始末。加えて、度の過ぎた放蕩。栄華にまだなれていなかったせいか、あるいは恐怖の忘却のためか、才は狂ったように酒と女にのめるようになる。
国政は乱れに乱れ、道には餓死者が片付けるものもなきままに転がってゆく。
人々は『所詮、足軽の成り上がりじゃあ、ねぇ・・・』と噂し合った。
才はその声を、恐怖と密告で握りつぶした。
それでも才の武勇をみなが恐れていたから、2年はもった。
3年目に、西の辺境で噂が立った。
『白衣の聖女が世直しをする』
噂は瞬く間にイ国を駆け抜けた。
「黒衣ではないのか!?」
才は何度も念を押した。
が、確かにそれは白衣の娘だった。
巨大な灰色の馬にまたがり、白の大鎧を着込んだ娘。
鬼姫と名乗り、不思議な力をもつという。
―おそらく、偽名であろうが・・・
その推測を裏付ける証拠を、やがて密偵は持ち帰った。
が、その情報を生かすだけの猶予を与えるほど、時も敵も甘くはない。
兵を挙げた鬼姫が『狂主討つべし!』と東進を開始したのである。
鬼姫率いる『解放軍』は破竹の進撃を続け、3次に渡る討伐軍はことごとく矛をさかしまにして鬼姫に従った。
業を煮やした才はついに自ら漆黒の鎧をまとい、10万の精兵を率いて出陣する。
両軍が激突したのは、奇しくも大原。
往時よりだいぶ弛んだ体の才であったが、それでも強かった。
竜にまたがり敵兵を跳ね飛ばし、一気に鬼姫の本陣に迫る。
―所詮は烏合の衆。将さえ討てば・・・・
「鬼姫とやら、武陽王が参った!尋常に勝負!!!!」
「暴君か!待ち兼ねたぞ!」
からからと大笑するその姿は、確かにあでやかな一人の少女だった。
鬼面の兜の下に豊かな栗色の髪と紺の直垂をなびかせ、馬上に大刀をかざす。
「天兵に代わって、鬼姫が誅してくれる!」
「・・・・・由都とか言うそうだな・・・・
没落貴族がこけ脅しを!」
槍を水平に構え上空より攻めかかる才の一喝をしかし、娘は跳ね返した。
「・・・それがどうした!貴様とて元は一介の足軽!魔石に憑かれた愚者など恐れはせぬ!」
「ほざくな!」
かつては分厚い城壁をも切り裂いた才の斬撃を、少女は軽やかに大刀を回して受け流す。
「・・・老いたな、黒騎士!」
「身のほど知らずの小娘がぁ!」
3年の栄華は才の体を深く蝕んでいた。鬼姫と名乗る娘は、その才と渡り合うには十分な強さを秘めている。
―なれど。
「我はバハムートに選ばれし戦士ぞ!」
才は再び天空に舞い上がり、竜の風圧で鬼姫を圧しようとする。
刹那。
鬼姫もまた、天空に舞っていた。
否、その馬が宙を駆けていた。
!
才ははじめて異変に気がついた。
―この馬、足が6本あるだと!?
「・・小娘、貴様まさか・・・・・・」
由都という娘はにかあっと不敵な笑みを浮かべて見せた。
「・・・神獣に選ばれたのが、貴様だけと思うたか!?」
悪魔の骨を思わせるその白亜の鎧、6本足の馬・・・!?
紅玉の槍がちりちりと音を立てた。
―知っている!?
才が、ではない。
もっともっと、深い記憶でだ。
「・・・忘れているのなら冥土で思い出せ!貴様はオーディンに討たれたとな!!」
一瞬反応が遅れた才を鬼姫の大刀が襲う。
「・・・オーディン・・・だと!?」
大刀は才の肩口をすっぱり切断していたが、浅かった。
才の受けが辛うじて間に合ったのだ。
「石の加護を受けたものが貴様だけと思うな!」
―不死の法を破るは、紅玉の眷族なり―
黒の少女の言葉がよぎった。
才の心の奥で、何かがピシッと音を立てる。
―まずい!
直感した。
―この娘こそ、我に死をもたらす者だ!
それは才という戦士の、卓越した『生存への嗅覚』だったのかも知れない。
「小娘!勝負は後日!!!」
才は大音声に言い放ち、きびすを返して一目散に逃走した。
「逃すかぁ!」
鬼姫こと由都も駒を飛ばして賢明に追いすがるが、何せ乗騎が違う。竜と馬とではそのスタミナに天と地ほどの開きがある。
鬼姫こと由都は瞬く間に引き離され、ちっと舌打ちをした。
「・・・・・あと一歩だったものを・・・・・・・・」
才は辛うじて追撃を振り切り、都へと逃げ延びた。
とはいえ配下の精兵10万は逃げることも叶わず、大半は『解放軍』に降るか逃げ散るかした。
鬼姫を戴く解放軍は雪崩を打って都へと進撃した。
が、才もよく守り、戦線は都の北郊、籐水の線で膠着した。
対峙すること10日。
実力は鬼姫が勝るのだが、才の駆る黒竜をどうしても捉えることができない。
・・・どうしたものか・・・・・。
思案に暮れる由都の幕舎を、深夜に訪ねた者がる。
「子白!」
久しく会っていなかった同郷の盟友がそこにいた。
この白面の青年、子白は字で、名は藍里という。後に『藍公』として名を残す名将である。
魔道に天賦の才があり、天下の名門、地元麗蘭王国の魔道学校で学んでいたこともあったが、大原の戦を機に『魔道の新たな道を探る』と言い残して遠方へ旅立ってしまっていた。
その子白が、思いがけず訪ねてきた。
「黒騎士に手を焼いているようだな?」
「全くだ。面目ない。せっかく『オーディン』の加護を得たというのに。」
「仕方ない。バハムートとオーディンならば向こうの方が格が上だ。
お前はよく頑張っている。」
「しかし・・・・・・黒騎士の太刀を受けてみたが以前の冴えはない。私が十全ならばとっくにヤツは討てている!」
負けん気が強いのか、由都はぎりぎりと拳を握り、机に叩きつけた。卓上の果物が飛び散る。
「あせるな。我らの中で最も素質があったのはお前だ。
それにお前を助けるために俺が来た。
・・・ヤツは我らが麗蘭の大地を踏みにじった宿敵だからな。」
「『大原』以降我らは苦汁をなめつづけた。町は蹂躙され、家族は奴隷にされ・・・」
由都が最後は忍び泣きになる。
「ああ・・・・・」
子白もしばし、重い沈黙に身をおいた。
瞳の中央で、ろうそくの光が淡くゆれている。
「・・・・あれから俺は考え続けた。
あの大原で、天下に冠たる麗蘭の魔道軍がなぜああもあっけなく敗れたのかを。」
「一つは、バハムートだな。」
由都がいう。
「そうだ。神話に登場するあの神獣だ。
あんなものが存在するとは、あのころは誰も本気にしちゃいなかった。
・・だが、我らはそれに対抗しうるものを見つけた。」
「ああ・・・黒の少女に懇願して譲り受けたあの仔馬、よく育ってくれた。
しかし、そのオーディンだけでは決め手に欠くのも事実。」
「そこでだ。」
子白がずいとひざを進めた。
「大原で敗れたのは、もう一つは魔法の詠唱に時間がかかりすぎたためだ。
学会の老人どもは伝統的な『詠唱過重方式』にこだわりすぎたんだな。
『魔法の威力は呪文の長さに比例する』っていう、あの化石のような理論に。」
「確かに、いまや軽騎兵の前に魔道士はただ逃げ惑うだけだからな・・。」
「そこで俺は海を渡った。向こうの大陸に別の方式の魔法があると聞いたからだ。」
「その顔は・・・できたのだな?」
「ああ!
『対象を心の中で強く念じ、手元に具現化する』ってヤツだ。
習得に時間はかかるが、一度覚えちまえば無敵だ。
・・・何なら、試してみるかい?」
「・・・面白い・・・!」
言うや否や由都は剣を引き寄せ、居合に抜いた。
才の肩を断った必殺剣である。
疾風の速さで、子白の首を襲う。
かちいん!
その剣の下で、子白がいたずらっぽく笑って見せた。
『鬼姫』の斬撃を、丸い銀の盾の形に変じた右腕が止めていたのである。
一秒にみたぬ間に、子白が何かの術を行ったのは疑いない。
「これなら、いけそうだろ?」
「・・たしかに。」
「ついでに竜封じの魔法も仕込んできた。俺ほどじゃないが魔法の使える仲間も連れてきてある。明日は加勢させてもらうぜ。」
由都は素直にこの申し出を喜んだ。
そして、翌日の勝利を確信した。
「・・・・・・・・・・・ありがとう、藍里。」
由都が人を字でなくその名で呼ぶことは滅多にない。
「しかし・・・・・・神獣どもにしろ黒の少女にしろ、なにが狙いなのだ?」
「ともあれ、我らは危険をわかって彼らを利用している。
黒騎士とは違う、それでいいではないか。」
その朝はしんと空気が澄み切ったなんとも心地のいい朝だった。
もやに滑り込むように、白の旌旗を押し立てた『解放軍』45万が一斉に籐水を押し渡る。
いかだが水面を埋め尽くし、押し殺したような沈黙の中ただ気配だけがひたひたとはるか対岸を目指す。
隠蔽魔法の援護がかかっているが、イ軍とて命運がかかっている。即座に危機を看破し、慌しく防戦する。
激戦であった。
矢に覆い尽くされた空は真っ黒になり、炎の魔法が大地を焦がす。
雷魔法に当たり水に呑まれる者、数知れず。
―籐水が我が王朝の、俺の生命線だ!
そう自覚している才は声を限りに叱咤激励し、自身も槍を振るってよく戦った。
―あの小娘の馬は川を越えられないはず。
籐水は大河である。竜の体力ならいざ知らず、馬ではとても越えられたものではない。
才は安心して槍を回し、敵を江に叩き落しつづける。
そのせいか、昼まで6時間あまりも猛攻したものの、『解放軍』で籐水を渡りきった者はまだいない。ただ万余の骸が漂うのみである。
―何度きても同じことよ。
そう確信した才は、幕舎に入ってしばしの仮眠を取った。さすがに疲れていた。
「陛下ぁぁ!!!!」
悲鳴に近い部下の声に、心地よいうたた寝は唐突に破られた。
「何事じゃ。騒々しい!」と言いかけた才だったが、「河が・・・河が」とうわごとのように言う伝令の震える指の先を見て、言葉を失った。
―川が干上がっているだと!?
幅5キロはあろうかという大河は、確かにその川床を醜く晒していた。
川をせき止めるという離れ業は、藍里の強大な魔力の賜物である。
乾きかけの大地の上を40万の大軍が殺到する。
5万のイ軍で太刀打ちできる数ではない。兵は浮き足立ち、後陣では早くも逃亡者が続出している。
「チッ!」
と馬首を返しかけた才だったが、遅きに失した。
「逆賊、その首を置いていけ!!!」
早くも鬼姫が背後に迫っていたのである。
―厄介な奴が・・・・・!
鬼姫の白と才の黒がたちまち入り乱れ、猛然と切り結び始める。
魔法王国・麗蘭切っての天才だった藍里は、その補助魔法で神獣の戦闘能力をも大幅に引き上げていた。
鬼姫の大刀の打ち込みが徐々に鋭さを増してゆく。才が受け太刀になる。
―紅玉の眷族が、死をもたらす―
黒の娘の呪いが、また響いた。
「天命に逆らいし報いか!?・・・なれど!」
才はそれでも、更に数十合をしのいだ。
―我には力がある!
―否、力こそ我の拠って立つ所なり!
―こやつ・・・存外、やる!
ひそかに舌を巻いていたのは鬼姫も同じである。
魔法による能力強化は、代償として効果が切れた直後の激しい疲労をもたらす。
―そのとき、果たして黒騎士の攻撃をしのげるか?
答えは明白すぎる。一撃で由都はあの世に行くだろう。
―早く片をつけねば!
由都もまた、焦りを感じ始めていた。
雲海の中で、両者は激しく駒を飛ばし、いつ果てるともなく刃を交えていた。
子白が駆けつけ均衡が破られるのには、更に10分を要した。
子白の合図を見て取った鬼姫が隙を見せ、才を罠へと誘導する。
才は見事に誘い込まれた。
たちまちのうちに神殺しの結界へ閉じ込められ、30倍の重力がのしかかる。
動きを封じられたタケに鬼姫が馬ごと体当たりをかまし、才は大地に投げ出された。
「御首頂戴!」
大刀を振りかぶった白騎士が迫る。
・・・・これまでか!
その才に、どこかで声がした。
『まだ生きたいか?』
―そこで、時が止まった―
是も非もない。もう魂はとうに捧げている。
「頼む!」
才は振り絞るように哀願した。
『・・しからば、汝の一番大切なものを差し出すか?』
「勿論だ!どうなってもいい!!!」
・・・・・・・まだ、生かしてくれ!!!!!
『名を惜しむ』という上士の発想は、このときの才にはなかった。
満足に生きていなかったから、あるいは満足に死ねなかったのか?
それとも、生の『意味』を見つけていなかったから?
とにかく、才はもう一度取引に応じた。
『・・・・・確かに聞き届けたぞ・・・・・・』
頭の奥からの、いや、大地の腹の底からのような声が言った。
才の目の前に、幾多の人間が浮かび、消えていった。
その幾人かは才になじみのある格好をしており、その他は全く見知らぬ世界の服をまとっていたり、あるいははるか原初の腰巻だけの者もいた。
そして、才はマリリスを見た。
『神話に登場する『緋色の女王・摩昂』とはこのようなものか・・・』
才は漠然と納得をした。
最後に、黒の少女があらわれた。
―やはり!
という思いや、問いかけ、懐かしさ・・・・・・いろいろな感情が去来したが、不思議と声にならなかった。
『・・・・・・あなたの一番大切なもの、確かにいただきました・・・・・・・・』
少女の姿は目の前の空間がまるで球形にでもなったかのように歪み、まるで渦を流れるかのようにその中心へと消えていった。
―扉は開かれた―
時が静かに、また動き出す。
獰猛な気配を感じ、才は思わず身構えた。
タケがうずくまっていた空間に、黒い雲が集まり始める。
それは見る間に大きくなり、天地の間に壁のように立ちはだかる。
雲から、ぬっと手が出た。
続いて、残忍そうな蹴爪を宿した、足。
黒い雲は次第に晴れ、代わりに別の黒が残る。
最後に、野性の獰猛さを残した顔が現れる。
それは、身の丈200mはあろうかという、巨大な黒竜だった。
「・・・・これが、タケの本当の姿だというのか?」
その才の心を見透かしたかのように、竜が口を開いた
『我は竜王バハムート』
そう、大音声に言った。その声だけで、まるで激震が襲ったみたいに大地が揺れた。
『契約により、ぬしの命を今一度拾おう』
巨大な手が軽々と才をつまみあげる。
そのまま翼を広げ、飛び立とうとする。
「・・・ま、待て!!!!!!」
呼び止めたのは鬼姫である。
いきなり目の前に巨大な竜が出現したのだから無理もない。
「こちらとてオーディンの加護を受けている。この者は人民が敵。
身柄を御渡し願えぬか!?」
6足の馬を竜の目の高さにまで上げ、恐怖を押さえながらも気丈に問い掛ける。この娘にも有無を言わせぬ気迫がある。
竜王がぎろりと白騎士の方を見る。
『人間風情が我らに意見するのか!?
・・・・・・・・身の程を知れ!!!!!』
ばさりと右の翼を羽ばたかせると、鬼姫は暴風に千丈の彼方までも吹き飛ばされてしまった。
「由都!」
ほど近くに投げ出された親友を、藍子白が助け起こす。
『・・・・・・・貴様が連れ合いか・・・・・
腕は立つようだが、この程度の結界で我らを縛ろうとは片腹痛いわ・・・・・』
竜王はもう一度身をゆすり、巨大な波動を巻き起こす。
白光が上がり、あっという間に魔法陣がめくれ上がる。結界はもろくも破れたのだ。
『貴様たちが焦らなくとも、この男はもうこちら側の人間だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なるようになる・・・・・・・・』
そういい残し、あっけに取られる解放軍を尻目に、黒竜はいずこかへと飛び去っていった。
「・・・・あれが、竜王というものか・・・・・・」
黒竜が北の空へと消えた後で、藍里はへなへなと崩れ折れた。
のちに藍公と呼ばれる子白が人前で醜態を晒したのはこのときだけである。
才が今一度目覚めたのは、武陽の宮殿の寝室である。
枕頭を多くの家臣が囲んでいる。
旧領ということもあり、ここの家臣の結束は固く、才に揺るぎのない忠誠を誓っている。
「・・・・俺は、生き延びたのか・・・・・・・」
才はゆっくりと上体を起こし、あたりを見回した。
かしずく家臣に下問する。
「今は何年だ?」
「白平三年四月四日にございます、陛下。」
白平は才が即位に際して用いた元号である。
それに、家臣は今『閣下』ではなく『陛下』と言った。
・・・・ということは・・・・・・・・・?
「夢ではないのだな?」
誰ともなく、才は言った。
―俺は、生き延びた。
すぐに現状を確認する。
槍を握った才が衰弱しきったタケと共に城門の前に倒れていたのが4月の1日。
解放軍が藤水を押し渡った日である。
武陽は王都から北東に、直線で500キロ以上は離れている。
同日中に王が武陽に忽然と現れたことは大きな波紋を呼んだが、迷信の多かったこの時代。
『王にはやはり超越の力がある』で説明された。
ために、今の武陽は意気天を衝くばかりである。
一方、イの都。
藤水を渡って殺到した解放軍は将のいないイ軍を苦もなく撃破、即日に王都を制圧した。
才の家族は混乱に乗じて脱出には成功したらしい。が、その後の混乱で姜は未だに消息不明。伝わっているのは長子(正確には第二子)の苑のことだけである。
16になった太子の苑は敗兵をまとめ、王都よりやや東の南城の地にこもって抵抗を続けているという。
―やるじゃないか・・・・
鬼姫の解放軍を相手によく持ちこたえている息子に、才は喜びと同に小さな嫉妬を覚えた。
―ともあれ。
俺は生き延びた。
今は心も体も軽くかんじた。
少し昔の剽悍な竜騎士時代のように体が動く。
心の重石も取れたように感じる。
なぜだろう?
『絶体絶命』を乗り切った自信か、あるいは『死の宿命』を乗り越えたからか?
―今ならば、やれる!
そう、才は思った。
才は日を置かず武陽全土に動員令を発した。
『国難に向かうべし』と3日間で集まった壮丁が15万を数えたというから、この地での才の人気のほどがうかがえる。
竜の子であるからなのか、タケの回復も尋常ならざるものがあり、もう人を乗せることもできる。
準備は整った。
春の澄んだ青空の下、漆黒の戎衣に身を固めた才は宮門へと急ぐ。
召集を完了した軍団が、彼の子飼いの精兵たちが王を待っている。
「ゆくぞ!」
才がうちまたがると、黒竜が静かに浮き上がる。
黒の直垂が翻る。武陽の黒竜旗が春風になびく。
「これより、王都を奪還に行く!」
15万全軍が歓呼の声を上げる。
「王、万歳!才、万歳!!!」
武陽軍は意気揚揚と進発した。
―今ならば、やれる。
才は確信している。
たとえ、黒の少女が相手でも。
・・・黒の少女!?
そういえば・・・・・・・
ふと、才はタケに尋ねた。
「タケ・・いや、バハムート。
お前は『一番大切なものを貰い受ける』と言った。だから俺はこうして生きている。
だが、家族も国も機会も、わしにはまだあるよう。
・・・・・・・・お前は俺の何を持っていったのだ?」
竜はけだるそうに頭をめぐらせ、同じく眠そうにこたえた。
「あなたにとって、何が一番大切なものなのですか?」